broom’s posterous

何が変わったのかは、まだ決まっていない様子

昨年から言われ続けた「総選挙」の結果がやっと出たので、このブログも再開したい。

大きな流れが変わったようだけれど、その流れは、「1つの民意」ではなく、複数のかなり異なる意見が、反自民という方向で合流しているだけなのではないか。

それぞれの流れが、来年の参院選に向けて、「我こそは民意」と叫び始める。本当にガバナンスが回復するのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

ガバナンス不在を喜ぶ気にはなれないので、さらに「民意の絞り込み」が進むはずの参院選が、来年で良かったと思う。政権の都合で延期されることもないだろうし。

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LDPギャップ?

潜在GDPと現状との差(GDPギャップ)を埋めるべく、かつてない規模の経済対策が打たれるらしいけれど、なぜ潜在GDPをそんなに高く見積もれるのかが、全く分からない。

つまり、政府与党が言いたいのは、潜在LDP(LDPが望んでいる支持率)と現在の支持率の差、LDPギャップを埋めるためには、これだけのお金が必要だということなんじゃないだろうか?それなら、必要性はともかく、理屈は理解できる。はっきりそう言えばいいのに。

ただ、この解釈でも、なんでそんなに潜在LDPを高く見積もれるのかがうまく理解できないのは、一緒だけれど。

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現時点で間違いなく野党に期待できること

他の点はまだまだ未知数だと言わざるを得ないけれど、「えっ」と驚かされるあら探しと、唖然とさせられる大騒ぎを演じることについては、間違 いなく、現在の野党は与党より上手いと期待できそうだ。
 
他方で、出来レース演出については、甲乙はつけがたいかもしれない。
 
これらの特殊技芸が、国民にとってどれだけ役に立ってくれるかは説明しにくいけれど、日本の政治に不可欠なスキルであることだけは、確からし い。どんな政治家でも、これらだけは間違いなくやってのけているようだから。

政治家も大変なんだろうことは、この辺りからも十分に察せられるところだ。

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政治は、経済学上の法則の実現を遅れさせるためにあるのか?

経済学上実証されている事態の推移だとしても、『俺は嫌だ』といって、 その推移の実現を遅れさせることができるなら、人はその手段を選びたい だろう。
 
その手段は、文明の発展とともに、精緻で強力なものになってきたはず だ。
 
政党も組合も利益団体も、そうした「政治上の調整」のための組織として 存在しているのだから、『経済学の法則では、こうなるべきだ』などとい う主張には、(理解できるとしても)あまり興味はないはずだ。
 
たとえ最後はそうなるのだとしても、それをどれだけ遅れさせるかが、彼 らの仕事なのだろうから。
 
したがって、政治上の調整を経て実行される経済政策は、政治的な真空で も実現しない限り、経済学上あるべき形からは(ほとんど常に)はずれた ものになるだろう。そのことに苛々しても仕方がない。
 
いずれ、経済学上実証されているような推移は実現する。時間はかかると しても。結果として悲惨な状況を伴うことになるとしても。
 
ただ、或る国が、その経済政策において、経済学的に最適とされる方向に 20年近くもたどり着いていないとしたら、その国の政治は、或る意味で 「すごい」仕事をしていることになるのかもしれない。

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政策の「安心・安全」は誰が確保してくれるのか?

自民党内の各派とも今回の財政緩和への転換を容認する旨が報道されている。党としての意見が割れるような事態は避けることができたのかもしれない。

他方で、今日の債券先物市場では、国債先物がかなり下落した。ロイター等をみると、外資系の投資家からの「財政規律が緩むのかどうか、注視したい」といったコメントが散見される。

確かに10年国債流通利回りは第2四半期に大きく上昇したのち、最近は少し下がってきているけれど、これが1.3%を割っていた第1四半期のレベルにまで下がるのかどうか、市場の見方は分かれているらしい。

つまり、自民党が内部の意見をうまく収めたとしても、その外で自らリスクを抱えている人達は、自民党の公式発表だけでは納得してくれないようだ。発表通りに政策は書かれるとしても、実態経済がその想定通りに動いてくれるとは限らないから。

各国の政策金利引き下げが続いているなか、日本の長期金利が下がっていかなければ、円高がさらに進む可能性も出てくる。

仮にそうなれば、自民党としても、地元選挙区の都合を優先している訳にはいかなくなるのではないだろうか。

結局、外需も内需もままならない現状で、日本の経済政策は、かなり厳しくその信頼性を問われる局面に来ているのかもしれない。

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自民党の全ての政策は凍結含みなのか?

今度は、骨太の凍結要求が自民党から出された。計画を立て直すのではな く、「凍結」というあたりが、安易という印象をまぬがれない。
 
『国内景気の急速な悪化への危機感』というけれど、そもそも、景気を悪 化させるために、これらの費目について抑制目標が立てられていた訳では ないし、政府支出が日本経済にそれほど大きな影響を及ぼしている訳で は、実はない。
 
そして、公共事業関係費と社会保障費の支出を抑制してきた、この3 年間、つい最近まで景気拡大は続いていた。
 
また、今回の景況悪化の原因が、公共事業関係費や社会保障費の抑制に あった訳でもないはず。
 
従って、抑制を凍結したからといって、日本経済には大したプラスの影響 はない。結局、凍結は、景気対策としては殆ど効果を出さず、財政立て直 しをさらに難しくするだけになりそうだ。
 
選挙対策として背に腹は代えられないのかもしれないけれど、それで自党 の政府が立てた目標を凍結するのならば、自民党の政策というものに対す る信頼は、相当に落ちるのではないか?
 
今後、自民党から「改革実行」なんて言われても、「都合が悪くなれば凍 結するんだろう」と、国民も市場も判断するかもしれない。それが、自民 党にとって、どれだけプラスになるのだろうか?
 
確かに、「改革されると迷惑」という人がいるのなら、そうした人達には 支持してもらえるかもしれない。
 
そういう人が沢山いることを当てにしているのかもしれないけれど、本当 にそんなに沢山いるのか、試してみてはどうかと思う。
 
欧米では高水準だったインターバンク金利がかなり下がってきたのに、 日本では逆に足下上がり始めている。
 
そんな資金逼迫な時に、さらにクラウディングアウトしようという政策 が、どれだけ広く支持されるのだろうか。

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地元のためなら、日本を壊す?! :野中尚人『自民党政治の終わり』を読み終えて 3

総理がペルーに行った途端、郵政民営化に(相変わらず)反対らしい自民 党議員達が、「国民が不便なら、元に戻すべき」といった発言を始めた。
 
業務的には殆ど変わっていない郵便事業等が『不便になった』と感じてい るのは、いったい、「国民」のどの部分のことを言っているのだろう?
 
仮に中山間部での業務内容が縮小して不便だというのなら、その部分だけ を問題にすれば済むことではないだろうか?株式売却等を凍結する必要は ないはずだ。
 
何らかの必要が生じたのであれば、その点を明確に説明するべきで、国民 のせいにするべきだろう。確か、マニフェストにも載っていた政策なのだから。
 
<自民党への地元の要望は変わったのか?>
そもそも、自民党の政治家が、『自分の地元が困っているから、マニフェ ストにあった政策だって変えなきゃいけないんだ』と正直に言っても、誰 も驚かないのではないか?

たぶん、やっぱりね、と思うだけだろう。次の選挙で自民党に投票するかどうかは、ともかく。
 
なぜなら自民党は、橋本政権や小泉政権のような例外を除けば、包括的に 何でも引き受けてきた政党だったはずだから。
 
伝統的にみて、或る方向性の政策のみを明確に選択してきた、共産党のよ うな政党ではない。
 
そもそも自民党の伝統的な支持層は、何らかの大きな政策体系の実現を付 託して自民党議員を選んできた訳ではない様子。
 
議員の多くも、或いは、政策は官僚が与党のプロセスを通じて作るもの で、自分の仕事は地元を固めて当選することと考えている様子だ。
 
自民党が政権を維持した期間が極めて長期にわたっていることから、その 支持基盤、そこへの利益配分は、全国津々浦々の相当に深いところにまで 浸透しているようだし、そうした支持層からは、自民党が政権を維持する ことが「自然」なことと受け止められてきた。
 
そうした伝統的な自民党システムは、小泉政権の「新自由主義的な政 策」、より具体的には2005年の総選挙によって破壊されたかのよう に言われているけれど、どうやらそうではなかった。
 
壊れてはいないし、上記のような自民党体制に大きな影響を及ぼしたの は、小泉内閣の経済改革政策ではなかったのかもしれない。
 
たとえば、前回の参院選での敗北以来、自民党議員から挙がったとされる 不満は、結局、『歳出削減によって、これまでの手法での支持基盤維持が できなくなった』『改革政策では、地元の支持を維持できない』という点 に集約されるように思える。
 
つまり、政策体系の方向性の問題というより、支持基盤確保のために使え るリソースの問題が、議員達の不満の要因らしい。
 
とすれば、参院選の敗北について、財政健全化のための歳出削減が原因と いった方が正確で、『小泉改革=新自由主義の「小さい政府」=歳出削 減』という説明は、ミスリーディングだろう。「新自由主義」の権化のよ うに言われているブッシュ政権は、財政赤字を拡大させた、その点では 「大きい政府」だったから、「新自由主義」と歳出削減は必ずしもつなが らないはず。
 
<選挙区での戦いの焦点は変わったのか?>

他方で、選挙区が上記のような状況でも、政治家が企図する政策実現を目 指すような人であれば、問題はないかもしれない。
 
ただし、日本の選挙制度では、他の先進国とは異なり、立候補者は、公務 員等の兼任が認められず、高額(かつ引き上げ続き)の供託金が必要にな ることから、立候補者の層が十分には拡がっていない。
 
その結果、政治家を専業とする家系が候補を出すことが増え、そうした候 補者にとっては政治家は「職業」だから、当選するために、政策の明確化 より地元への利益誘導が効果的という現実があれば、当然そちらが優先さ れてしまうだろう。
 
そうした伝統的な実情の続いた時間と根の深さを考慮すれば、大きく変化 するにはまだまだ時間がかかるのかもしれない。
 
確かに、小選挙区導入によって、本来的には、政策による選挙に転換して いくはずだったけれど、相手の民主党が、自民党と大枠としては同じ方向 で、利益配分の点で少し色味・旨味が違う政策を提案しているのだから、 政策は争点にならない。
 
歳出削減で先細りになった利益配分を元に戻さないと、民主党候補に勝て ない可能性も出てくるはず。
 
とすれば、自民党議員にとっての実際の選挙区の状況は、闘う相手が、同 じ自民党の候補から、民主党候補に変わっただけで、中選挙区の当時とあ まり変わっていないことになりそうだ。
 
だから、議員達にとっては、政策も昔のままに戻してもらった方がありが たい、ということになってきたのかもしれない。

 
<それでは変わる必要はなくなったのか?>

ところで、海部政権や橋本政権、小泉政権が、小選挙区導入や歳出削減、 政治改革を進めてきたのは、冷戦後の内外情勢に日本政府が対応していく ために必要だと判断してきたからではなかったか。

現在の日本において歳出削減が不要になった訳ではない。財政事情は今後10年くらいは変わらないだろうから、本来、自民党の側が、それに合わせて選挙の戦術を変更するべきはず。もはや、お気楽なオールド・ケインジアンには戻れない。

選挙区の人達に、伝統的なやり方からの変化が必要だと説明することは、代表である国会議員以外にはできないことだろう。

そして、リーダーシップについても同様だ。世界の現状をみる限り、歴代内閣が必要と判断してきた、迅速で強力なリーダーシップは、今こそ必要とされている ように見える。

たとえば政権末期のブッシュ政権でさえ、100年に1度の金融危機に遭遇して、往時の日本政府とは比較にならないス ピードで、金融危機への非常に難しい対応を進めている。そうしたリーダーシップを国民も当然のことと受け止めている。
 
他方、野中本も指摘するように(P.136、137)、自民党は伝 統的に、政策決定について『ボトムアップ』『コンセンサス』を重視す る、日本的な組織だった。
 
そして、議員内閣制を採用している他の先進国に比べて、日本の場合、政府による議会 への統御が難しい制度になっているため、政策形成の円滑化を図る観点か ら、与党による法案・政策の事前審査が定着してきた。
 
その結果、全会一致を原則とする自民党総務会を通過するべく、莫大な時 間をかけて政策・法案が形成されてきた。
 
これまで実績があるシステムであるのは確かだとしても、このシステムか らは、迅速で強力なリーダーシップは出てこない。
 
また、そうした伝統的なシステムを通じて出てくる政策・法案は、日本的 な他の組織で起きているように、結果として、「誰も反対しない」ものと なることが優先され、政策としての方向性が不明確になるのは仕方がない と評価されがちだろう。

<今後、どう進められていくだろうか?>
『局あって省なし』という言葉があったように、もしかした ら、これまでは『地元あって政策なし』でも、日本の政治はうまく回ってきたのかもしれないけれ ど、本当に、これからもそれでうまく行くのだろうか?
 
本来的には、郵政民営化は、財政投融資改革からの当然の帰結として必要になったものだ。ディテールに問題があるのなら、まずそれを説明するべきだろう。それとも、財政投融資も元に戻すべきなのだろうか?いったい、何のために?
 
あるいは、多くの国民が支持した政策を覆すほどに、自らの支持基盤の強 化が必要なのかもしれない。

それならば、自民党議員の中にどんな事情があるにせよ、 同じく国民への明確な説明が必要なのではないだろうか?

そうした説明がなされなければ、次の総選挙での自民党のスローガンは『地元のためには日本を壊す!』になってしまいそうだ。

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国民は議員を選べても、議員の採る政策を選べないのか? : 野中尚人『自民党政治の終わり』を読み終えて 2

<国民は自民党の政策を選択できないのか?>

旧郵政事業の政府保有株式のうち、金融部門の株式売却を凍結する、と いった動きが報道されている。
 
野党からは、郵政民営化を全面的に見直す凍結法案が出ているようで、当面はそれを軸に与野党で調整を進めていくらしい。
 
野中尚人『自民党政治の終わり』では、小泉内閣後、自民党内にかなり大きな政策路線上の対立が生じていることが指摘されている(P.106〜 108、198、210、211)。
 
たとえば、P.198では、その対立を、「旧来型の政治を守ろうとす る勢力」と「新自由主義的な政策へ進もうとするグループ」という、2つ のグループに分けている。
 
同様の路線対立に係る記述は、高橋洋一氏の著作や長谷川幸洋氏の著作にも見られるし、先の総裁選をみても、おそらくそうした実態があるのだろ う。
 
仮に、そうした大きな対立が自民党内に生じているとすれば、先の総裁選 挙のように、自民党総裁選挙は今後も「党内での政策路線選択の選挙」となるのだろうし、総裁の交代は「政策路線の転換」になってしまう可能性が高い。
 
そうなると、端的にいって、自民党に投票する場合には、そのマニフェス トを見ただけでは、国民はその政策を間違いなく選択することができなくなりそうだ。
 
今後、自民党のマニフェストは、正確を期すため、「党内情勢によって は、こうなるかもしれないし、逆にこうなるかもしれません」という形で提示した方が良いのではないだろうか。

<マニフェストはその時々の総裁の意見に合わせればいいのか?>

たとえ話でいえば、こういうことではないか。とある有権者が、或る自民党衆院候補が主張する政策、党のマニフェストに沿った政策に賛同して、その候補に投票したとする。

ところが、投票後1年経たないうちに、自民党総裁選挙があり、現総裁の政策に強く反対している政策グループ(野中本等によれば、政策路線の対立は必ずしも派閥ごとにはなっていない様子)の議員が総裁に当選した。

党としての政策の方向性は大きく変わることとなり、マニフェストも大きく変更され、前政権の実現した政策も、凍結ないし大幅な見直しが行われることとなった。総裁任期が3年、衆院議員任期が4年という点を考えても、今後、こういうことは、十分に起きうるはずだ。

現在の制度としては、上記のような路線変更は確かに許容されているかもしれない。

ただし、「裏切られた」「当てにならない」と受け止めるかなりの有権者が出てくることは、容易に予想できる。自民党への支持も不安定になるはず。では、なぜそうした動きが現に起きるのか?この辺りを、野中本の内容から類推してみたい。

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水村美苗『日本語が亡びるとき』(書籍版)を読んで: 1 読み始め

昨晩から、『日本語が亡びるとき』書籍版を読み始めた。

<ざっと見ての感じ>
最初に探したジュンク堂池袋店では在庫切れだったけれど、近所の書店で 最後の1冊を入手できた。ネットでの評判の高さがこんなところにも反映 されているのだろうか。

1〜3章について『新潮』版との異同を確認した上で、4章以降をざっと 流し読み。この著作は、どうやら、語り手の「言語」体験を踏まえての 「日本近代文学への信仰告白」のようだ。

たとえば、国語・公用語政策が語られている部分は、日本語・英語へのア ンビバレントな感情がかなり露わになっていて、どこまで本気で、実現性 とか考慮されているのか、分からなかった。

もちろん、国の政策について、何を提案しても、それ自体全く問題はない と思う。

ただ、該当箇所は、真摯な政策提案というよりは、英語や日本語への複雑 な感情がむき出しになった呪詛を投げつけているように感じられた。呪詛 をそのまま政策にするのは難しいと思う。

ネットで見かけた、本書へのプラスの評判は、「好感を持った」という評 よりも「貴重な問題提起」という評が多いように思う。その点は確かに、 その通りかもしれない。


<『新潮』版との異同で気づいた点>
1〜3章には、末尾部分を除いて異同はなさそう。つまり、(私からみて の)いくつか細かい間違い(間違いでないというのなら、ミスリーディン グな書きぶり)はそのままになっている。もちろん著者なりの判断なのだ ろう。

また、『新潮』版3章末尾(P.208下段〜P.209)は、書籍版 と比較したところ、どうやら4章以降のあちこちからのダイジェストとし て構成されていたと考えてよさそうだ。

ただ、その中で、『新潮』版 P.209上段2〜5行目の『今、過去に 葬ったと思っていた<普遍語/現地語>という言葉の二重構造が再びむく むくと頭をもたげてきている。しかも、今回は、英語というたった一つの <普遍語>が、言葉の二重構造を世界全体に強いようとしている。』とい う部分は、昨晩探した限りでは見つけることができなかった。

『新潮』版を読んだ際、この部分は、本作の中で、語り手の意見・感覚が かなり鮮明に表明されている箇所だと思っていたのだけれど、なぜ削除さ れたのだろうか?

もちろん、この部分がなくても、本編全体を見るかぎり、語り手の主旨は この部分の趣旨と変わらないようには思えるけれど。


<どう読んでいくか?>
端的にいえば、本書は丁寧に読んでみたいと考えている。ネットの評判通 り、いろんな論点を抱えている本だと思うので、そうした論点を、これを 機会に勉強してみたい。

では、どう読んでいけばいいだろう?まず、「英語が支配しつつある」 「日本語が使われなくなる」といった語り手の問題意識を、本書に沿っ て、もう一度きちんと読み取ってみたい。

たとえば、私個人としては、日本中にマクドナルドがあるのを見て『アメ リカ帝国主義だ』と叫ぶ、といった主張には、現時点では賛成する気にな れない。

本書を読むのを機会に、言語帝国主義や多言語主義の文献を幾つか併せ読 んでみて、本書の語り手の議論を検討してみたい。

語り手の議論を敷衍すると、日本料理や着物も、もっと「保護」した方が 良いことにならないか?

それは、各人の文化上の選択に制限を加えることにならないか?どのよう な論理でそうした制限を加えようとするのか?気になるところだ。

実態のデータも、Webとか文献で探して確認してみたい。少し前 に、国連機関から関連する調査報告書が出ているみたいだ。

もう一つ、やや異なる角度になるけれど、個人的には、ネグリ/ハートの 「マルチチュード」というものには、それなりに期待している。

ところが、本書の語り手の議論では、マルチチュードが形成されつつある 現在の動き自体を止めるべき、ということになりそうだ。ざっと読んだだ けの『マルチチュード』をきっちり読んでみたい。

本書自体をどう評価するかは、上記のような検討をしてみてからにした い。

ただ、昨晩読んだ限りでは、まだ「ファンタジーの一種」という評価は変 わっていない。この分野には、もっと精密に書かれた文献がいくらでもあ ると思う。

本書は、そうした文献への入り口の1つ、ということになるのかもしれな い。

そんなことを期待しながら読んでみたい。

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新たなロストジェネレーションが生まれるのか?

今後、2年程度は不況になると判断した方が良さそうだ。

そうした中で、あまり議論されていないようだけれど、日本政府や日本企 業が90年代の経験からどれだけ学んでいるかは、今回、新たなロス トジェネレーションが生まれるのを、防ぐ(或いは早期に解消する)こと ができるか、によって判断されるだろう。

前回は、残念ながら、その発生を防ぐことも、そうした層の早期解消もで きなかった。

また同じことが繰り返されたら、経済運営の信頼性を相当に疑われかねな いはずだ。

それとも、もう労働市場では「折り込み済み」なのだろうか?


#本日の英語の運動: 毎日、PodcastはCNN、NYT を、Economistの記事は2つは読んでいるけれど、他は出来ていな い。今晩からまた始めよう。All-in-oneと87文型を再開するぞ。

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