NewsWeek誌10月20日号に、行動経済学者ロバート・シラーによる”The Ownership Myth”というエッセイを見つけたので、少しだけ長めに書いてみる。
シラーのエッセイ自体を、できれば直接読んで頂きたい。私自身が面白いと感じた箇所は、以下の通り:
"The idea of the "ownership society," which links the concepts of good citizenship to property and stock ownership, was used effectively by President Bush during the 2004 presidential campaign, It sounded right to voters then, as home prices were soaring. But you'll notice that neither candidate today is using the term. Did the Bush ideology of ownership help to push us toward the current crisis? The causality isn't quite so straightforward. The political agenda to push homeownership was itself informed by the bubble in home prices."
"Homeowners are in fact better citizens, more likely to vote in local elections, studies show."
"This underscores an important point - the emotional pull of homeownership is extremely deep-seated. There is a centuries-old connection in our society between homeownership and citizenship."
"Of course, behavioral economics tells us that the emotional lure of homeownership is strong, and would be difficult to break completely, even if that were desirable."
"I still think that broad home- and stock-ownership in the United States and abroad is a good thing. But limits need to be set. To the extent that an equity culture leads to entrepreneurship and investment and wealth creation, I'm for it. But I was not, for example, in favor of the Bush plan to privatize Social Security."
ちなみに、ロバート・シラーは、"Irrational Exuberance"などの著作で、行動経済学の立場から、近年の金融市場について早くから警鐘を鳴らしていた人。
住宅投資・株式投資に与えた影響の是非はともかく、ブッシュの『所有に基づく社会』政策は、アメリカ人にとって伝統的な心理に深く根ざしていたようだ。そして、行動経済学の観点からも、住宅所有は「良き市民」としての行動と結びついているらしい。
別に、ブッシュや共和党の肩を持つつもりはないが、私が注目したいのは、この政策が、良き市民となることをアメリカ人達に求めるにあたって、彼らに古くから共有されている『良き市民』像に、1つの”American Dream”に、訴えている事だ。
そして、こうした政策が、他方で「自己責任」を追求した保守政権によって進められていた事、国の経済政策や社会政策がこうした明確で理解しやすい基礎を持っている事には、注意しておくべきだと思う。
なぜか? 日本の政策には、こうした配慮があまりに不足しているからだ。
確かに、Reichの議論のように、国家という枠組み自体に見直しが必要になっているのかもしれない。しかし、それに代わる安定的な枠組みが見いだせていない現時点では、国家・国民という枠組みは、中期的に人が安心して生活していくために不可欠な仕組みだと思う。
そして、この枠組みが円滑に機能するためには、国家は、人々から、「国民」としての参加を確保し続ける必要があるはず。この大前提への配慮が、日本の経済政策や社会政策には希薄なのではないか?
日本では、国家は「自然」なもので在り続けてきた。意識的に維持するものとは捉えられてこなかった。そうした歴史が1000年以上続いてきたのだから、人々の慣習(或いは遺伝?)の中に、そうした認識とか判断が深く刻まれていたって、不思議ではない。アメリカのように出来て200年と少しという国とは、人々の意識が違うとは思う。
ただ、人々の活動の中では、急速に「国境」は希薄になってきているはず。
他方で、戦後長く続いた『総中流』というJapanese Dream(何を実現できれば等しく「一人前の日本人」と認識してもらえるか?)を実現できた層・世代と、これからの実現が難しくなってしまった層・世代との間には、共有すべき新たなDreamが提示されていない。国籍・日本語・人種、或いは社縁・地縁・血縁を離れたところで、何が共有されているのか、定かでない状況が続いている気がする。
国なんて止めてしまう、という手もあるかもしれない。ただ、仮に、上記のギャップを埋めていくのだとしたら、今、私達には、「日本」という枠組みを、(既存に固執するのとは別に)意識的に維持していく工夫が必要になっていると思う。
「愛国心」といった精神的なことを言いたい訳ではない。たとえば、上に述べたアメリカの政策のような視点や手法が、日本の経済政策・社会政策にも必要なのではないか?もちろん、ブッシュのマネをしただけでは、バブルになるだけかもしれないが。
ただでさえ、日本はこの10年あまりのツケを解消するために、「協力してくれる国民」という存在が必要であるはず。
それならば、単にばらまくのでも辻褄を合わせるのでもなく、単にマスコミや利害関係団体を満足させるのでもなく、義務の伴う国民になることが、各自の幸せにつながると納得してもらえる方途を、国民で在り続けて欲しい人達、国民になってほしい人達に示す必要があるのではないか。
放っておけば、少子高齢化の基調の中で、優秀な人達から、希薄になった国境をまたいで他所に移っていってしまうだろう。実は、国全体が「過疎化」するかどうかの瀬戸際なのではないか?
一公務員としては、そうしたJapanese Dreamのための仕事が生まれてくれることを、(たとえそれで忙しくなったとしても)本当に待ち望んでやまない。
#本日の英語の運動: All-in-One13セットまで終わったので、昨日はCDを一通り全部聴いてみた。1時間半弱かかる。1ヶ月続けてみる。
#87文型は量を倍に増やしての1セット目を始めた。5セットやってみる。ExEはPart1で不正解だった箇所をさらってみた。Part2は今晩からやってみる。
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